将棋に革命を起こした藤井システムの創始者、四間飛車の第一人者である藤井猛九段の公認応援サイト。

藤井システムとは

藤井システム登場以前

藤井システムとは、藤井猛九段が独自に開発した、天守閣美濃と居飛車穴熊に対する四間飛車の序盤戦術です。

本ページでは、天守閣美濃に対する藤井システムを「対左美濃藤井システム」(図1)、居飛車穴熊に対する藤井システムを「対穴熊藤井システム」(図2)と言います。

対左美濃藤井システム
図1 対左美濃藤井システム(先後反転)
対穴熊藤井システム
図2 対穴熊藤井システム

居飛車対四間飛車の戦いは、居飛車が穴熊などにガッチリ組む「持久戦」と、舟囲いなど囲いはそこそこに速攻を仕掛ける「急戦」に大別されます。天守閣美濃や居飛車穴熊が登場するまで、四間飛車に対しては急戦を仕掛ける将棋が多かったのです。しかし、居飛車が舟囲いのまま四間飛車に対して急戦で挑むと四間飛車の美濃囲いが堅く、実際には互角であっても四間飛車が勝ちやすいということがありました(図3)。

先手居飛車急戦 対 後手四間飛車美濃囲い
図3 先手居飛車急戦 対 後手四間飛車美濃囲い(先後反転)

そこで、居飛車側も天守閣美濃や穴熊など、振り飛車の美濃囲いより守りを固くするという発想が生まれました。美濃囲いと穴熊では圧倒的に穴熊の方が固いため、四間飛車は銀冠に組み換えるなどしますが、それでも固さは穴熊に劣ります。さらに、居飛車側だけ飛車先の歩が伸びているので、居飛車のほうが仕掛けやすいという利点もあります(図4)。

先手四間飛車銀冠 対 後手居飛車穴熊
図4 先手四間飛車銀冠 対 後手居飛車穴熊

実際に天守閣美濃や穴熊は猛威をふるい、振り飛車側は工夫を求められることになりました。

対左美濃藤井システム

そこで登場したのが藤井システムです。藤井システムには天守閣美濃に対する「対左美濃藤井システム」と、穴熊に対する「対穴熊藤井システム」の2つが存在します。初めに名が知れたのは対左美濃藤井システムでした。まずは対左美濃藤井システムの説明をします。

対左美濃藤井システムの布陣は杉本昌隆七段が奨励会時代に指していたなど完全オリジナルではありませんが、あらゆる変化を体系化し、いくつもの有力な新手を編み出し、戦法として昇華させたのが藤井九段でした。著書『藤井システム』を見ると、74手目に研究で発見した手を指したという実戦譜が紹介されており、その研究の深さをうかがい知ることができます。

天守閣美濃は縦並びの銀、二段目ではなく三段目に玉がいることから、横からの攻めに滅法強い布陣です。振り飛車は、普通に飛車を捌くと自然と横からの攻めになりがちです。そこで、縦からの攻めを見せるべく、図5のように形を作ることを「対左美濃藤井システム」と言います。

対左美濃藤井システム
図5 対左美濃藤井システム(先後反転)

ここでは、対左美濃藤井システムの特徴をいくつか述べておきます。まず、図3のような普通の美濃囲いに比べ、玉は一段目のままであることがポイントです。対左美濃藤井システムは、天守閣美濃を玉頭から攻めることを狙いとしています。玉が二段目にいる状況で玉頭攻めを行うと、その反動を大きく受けてしまうのです。そのため、玉は一段目のまま待機します。

次に、☖6五歩と位を取ることが重要です。居飛車に☗6六歩〜☗6七金と形よく囲いを発展させることを許しません。

図5からは、隙あらば☖8四歩〜☖8五歩と玉頭攻めを行います。対左美濃藤井システムはこの☖8四歩を間に合わせるために、駒組みを極限まで洗練させたものです。例えば二段目にいた玉を一段目で備えることで一手を稼いだこと、☖6五歩と位を取って居飛車の形を制限したこと。図5に至るまでの手順一手一手に、この☖8四歩を間に合わせるための意味を持たせました。藤井システム党はその美しさに、感嘆のため息をつくのです。

対左美濃藤井システムが広まってからはプロ棋戦の天守閣美濃採用率が激減し、今ではほとんど見られなくなりました。しかし、「左美濃の将棋は、四間飛車が手順を尽くして駒組みをしているのに比べ、居飛車の戦術がそれほど進歩していない。左美濃そのものは優秀な囲いなので、居飛車の新手ひとつで見直される時代が来るのではないだろうか。」と藤井九段が述べている(四間飛車の急所第1巻P.183)ように、左美濃にもまだ未知の新手が残っている可能性があります。

ただし、居飛車穴熊が振り飛車対策として優秀であったため、多くの人が穴熊を選択する時代が訪れます。

対穴熊藤井システム

居飛車穴熊は左隅に玉を配置し、その周りを金銀でガチガチに固める囲いです。ひとたび居飛車の攻めがつながると、王手もかからず勝つこともあります。戦場から遠いのが最大の利点で、四間飛車は長い時代この穴熊に苦しめられています。

1995年12月22日、順位戦という舞台で対穴熊藤井システムが登場しました。結果は僅か47手で藤井システムの勝利!プロ相手にこの決まり方、尋常ではないと感じた藤井九段は藤井システムを一旦封印し、一人で研究を行い藤井システムを磨き上げていきました。そして数年後、その封印を解き、第11期竜王位奪取という大きな成果を上げることになります。そのときの将棋世界の表紙では、「藤井システム、将棋界を席捲!!」の文字とともに藤井新竜王のニュースが報じられました。

対穴熊藤井システムは、図6のような布陣を言います。図6から仮に☖1二香であれば、☗2五桂(!)などといきなり攻めかかります。居飛車穴熊完成前までの中途半端な形に目をつけ、居玉のまま、角のニラミを利かせながら攻めていくのが特徴です。☖1二香を待ってから仕掛けることも大事で、☖1二玉と寄れないため、角のニラミがより厳しくなります。対穴熊藤井システムは従来からある格言「居玉は避けよ」、「玉飛接近すべからず」を守らず突然仕掛けるため、当時は非常に斬新な発想でした。この攻めは強烈で、第一号局のように短手数で一気に攻め倒せてしまうこともあります。

対穴熊藤井システム
図6 対穴熊藤井システム

対穴熊藤井システムが居玉である理由は、対左美濃藤井システムと同様右辺で攻める反動から遠ざかるためです。端を絡めた攻めを行うため、対左美濃藤井システムの玉の位置ですら戦場に近いのです。☗4八で戦う発想はあっても、居玉で戦うことに対して研究し、実戦で指したのが藤井九段でした。

対穴熊藤井システムに対し、居飛車は穴熊をあきらめ、藤井システムの居玉に目をつけ急戦にシフトチェンジする場合もあります(図7)。このような急戦があるため居玉で戦う発想はすぐ切り捨てられるのですが、藤井九段は対急戦の研究を深め、急戦にも対応できると踏んだのです。

対穴熊藤井システム 対 急戦
図7 対穴熊藤井システム 対 急戦

図7は居玉ではありませんが、この直前は☖7四歩☗4八玉☖7五歩という手順です。☖7四歩を見て☗4八玉と囲うのは、対穴熊藤井システムにおけるほぼ例外のないルールです。居玉のまま急戦を迎え撃つ訳にはいきません。居玉に目をつけた居飛車の揺さぶりは現在のプロ棋戦でもたまに出現するほどで、対穴熊藤井システムが登場して20年以上経った今もなお、難しい戦いが続いています。

なお、藤井システムを発動するかどうかは四間飛車の権利です。居飛車が穴熊をあきらめた瞬間、藤井システムは従来の四間飛車の駒組みに合流することができますし、藤井システムの駒組みでポイントをあげたあと居玉にこだわらず普通に囲う人もいます。藤井システムは従来の四間飛車の幅をひろげました。

藤井システム登場後、居飛車も穴熊の組み方を洗練させていき、一気に潰されることはほぼなくなりました。居飛車が普通に穴熊に組むことをあきらめたものの、それでもなお持久戦調の駒組みを目指した場合、藤井システムは従来の四間飛車的な将棋を離れ、相居飛車のような感覚で細かいポイントを狙う、じりじりとした駒組み合戦が続きます。

対穴熊藤井システムの歴史

藤井竜王誕生後、藤井竜王は史上初となる竜王三連覇を達成し、藤井システムはプロアマ問わず大流行しました。振り飛車全盛の時代です。

しかし、特に対穴熊藤井システムは藤井九段にしか指せないと言われるほど難解を極め、振り飛車党全員が藤井システムを指す訳ではありませんでした。振り飛車党は個性派揃いなのです。一方、居飛車党は穴熊に組むべく振り飛車、特に藤井システム対策を尽くしていきました。当時は研究将棋全盛期でもありました。結果、藤井システムの勝率は徐々に下がっていきました。

藤井システム対策が相当進んだ2006年、藤井九段が藤井システムを用いて羽生朝日オープン将棋選手権者に敗れ、藤井九段はいよいよ藤井システムの採用を減らしていくことになりました。藤井九段いわく、「ファーム落ち」の時代です。藤井システムはごく一部の棋士のみが採用する戦法となってしまいました。

しかし2011年8月、突如として藤井九段が藤井システムを採用し、その後も要所要所で採用し始めました。2015年〜2016年にかけて藤井九段の藤井システムの勝率は8割を超え、2016年度第24期銀河戦では藤井システムを連採し、優勝を果たしました。藤井システムは長い氷河期を抜け、復活を果たしたのです。

更新履歴

2006/08/02 新規作成 涓滴

2016/10/01 全面差替 涓滴