藤井システムとは居飛車の天守閣美濃(左美濃)と穴熊に対して用いられる四間飛車の序盤戦術である。
急戦や位取りなど、天守閣美濃や居飛車穴熊以外の戦法で四間飛車に挑むと四間飛車の美濃囲いの堅さゆえに仕掛けが上手く行ったとしても四間飛車が勝ちやすいということがよくあった。
そこで居飛車側も天守閣美濃や穴熊など振り飛車の美濃囲いより堅い守りをしてくるようになった。振り飛車から仕掛けるという考えがなかなか無かったので居飛車側は悠々と囲うことができ、さらに居飛車側の飛車先の歩は伸びている。この点によって振り飛車側は工夫を凝らさなければ作戦負けになることが多かった。
そこで登場したのが藤井システムである。初めに名が知れたのは対左美濃藤井システムであった。この駒組み自体は藤井九段が考案したものではないが(布陣としては杉本七段が奨励会時代に既に指していた)、戦法として極めて有力に体系化し、新手をいくつも出したのが藤井九段である。
著書『藤井システム』を見るとその量から研究の深さは凄まじいものがあると分かり、同書に収められてる実戦譜では74手目にして研究で発見した手などが紹介されている。
これが広まってからはグンと天守閣美濃の登場が減ってしまったが、絶滅とまでは行っていない。これは「左美濃の将棋は、四間飛車が手順を尽くして駒組みをしているのに比べ、居飛車の戦術がそれほど進歩していない。左美濃そのものは優秀な囲いなので、居飛車の新手ひとつで見直される時代が来るのではないだろうか。」と藤井九段が述べている(四間飛車の急所第1巻P.183)ように左美濃にもまだ可能性が残っているからと言える。
しかし左美濃で苦労して新しい可能性を見つけるよりもっと楽に勝ちやすい形を選びたい、ということもあって居飛車穴熊が完全に主役になった。
1995年12月22日、順位戦という大舞台で対穴熊藤井システムが登場。僅か47手で相手を投了に追い込んだ居玉戦法は将棋界に凄まじい衝撃を与えた。
居飛車穴熊は組むまでに手数がかかり、その途中の形がバラバラのところに目をつけ居玉で仕掛けていくのが藤井システムである。そのため一目散に穴熊に囲う相手には奇襲戦法と言える戦いになる。しかし奇襲戦法とは言え普通の奇襲戦法とは質が違い、プロ間では藤井システムの布陣に対して一目散に穴熊に囲うことは無くなる程完成度が高い。「居玉は避けよ」の格言や飛玉接近の悪形というそれまでの常識を完全に覆すものであったが、その優秀性が認められた証拠だった。
そこで居飛車側も対策を考える。居飛車がすぐ潰れないように指せば、奇襲戦法のように思われた藤井システムは一転矢倉のように渋く手厚い将棋になる。あるいは居飛車が藤井システムの居玉を見て急戦をしてくればすぐ玉を囲い居玉の藤井システムは従来の四間飛車に戻れた。このように藤井システムは色々な顔を持ち、どの形になっても柔軟に対応できた。ただし「藤井システムを指しこなせるのは藤井だけだ」という言葉もあるほどその対応の仕方は難解を極める。
藤井システムと居飛車穴熊の攻防は登場から12年経っても止まず、藤井九段や久保八段、そして若手の振り飛車党が藤井システムを実戦で用いている。
なお藤井九段自身、対穴熊藤井システムを創る上で参考になった将棋として羽生-真田戦(平成7年10月・全日)、羽生-佐藤(康)戦(平成7年11月・竜王)、村山(聖)-藤井戦(平成7年12月・王位)を挙げている。
藤井九段、久保八段、鈴木八段という振り飛車御三家など現代の振り飛車党の活躍により、若手に振り飛車党が増えた。この若手が藤井システムを研究し、実戦で用いていることにより藤井システムの発展はまだまだ続くと思われる。
藤井システムではない△4四銀型四間飛車のようなじっくり囲いあう将棋でも、まずは藤井システムの形を見せたり、囲いあった後も振り飛車側から積極的に局面をリードするようになったと言うことを考えると、既に藤井システムは振り飛車そのものを変えたと言える。
最初から積極的にリードするということを覚えている新しい振り飛車党たちがこれからどのような将棋を見せてくれるか楽しみである。
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